タクシー運転手は地理が命です。どれだけ地理に詳しいかで、お客さまの満足度も変わってきますし、営業効率も全然違います。お客さまからしてもタクシードライバーは道を知っていて当たり前で、タクシードライバー同士の話題でも地理についてはよく話が出てきます。どこにお客さまが多かったかということもそうなのですが、どこに右左折禁止があるとか、どこで工事をしているのかということも話題にあがります。とにかくタクシードライバーは道を覚えることに熱心です。仕事上必要だからというのはもちろんですが、それ以上に道を覚えることが楽しくなってくるというのもあるかと思います。
一方で地理に自信が持てないというのも、よくあるタクシードライバーの悩みです。ロンドンの市内を営業区域とするロンドンタクシーのドライバーは、街の道をくまなく覚えていて、番地のレベルまで把握しているそうです。資格を取るための試験は厳しく、覚えなければいけない道や施設は25000もあるのだとか。そのため試験を合格するためには3〜4年かかるそうです。しかし、日本のタクシーでは、都市圏では地理試験を実施しますが、1〜2週間の勉強で合格できるものです。
営業区域にもよりますが、東京23区を中心とした東京武三地区については、乗務開始した時点で道を完全に覚えきるのは不可能だと言えます。そのため、タクシードライバーは道を覚えながら営業していく必要に迫られるものです。それでもすべての路地や抜け道を把握するのは不可能です。そのため、お客さまに教えていただきながら営業しなくてはなりません。この記事では、タクシードライバーがどのように地理と向き合っているのかをご紹介していきます。
最初に直面するのが地理試験対策です。地理試験とは、東京都、神奈川県、大阪府の中心部で営業する際に受ける必要がある試験です。地理試験にあわせて、各種の研修や法令についての試験が行われますが、こちらは問題なくこなせます。逆に言うと研修を座って受けていられない人や、難易度の低い法令試験が合格できない人は、ある程度の難易度がある地理試験に合格することはできません。
私が受験したのは東京武三地区といわれる23区を含むエリアのものです。幸い1発で合格できたのですが、1週間しっかり勉強する必要がありました。対策なしで受かる可能性は極めて低いテストです。不可能といっていいかもしれません。実際に、乗務を何年か務めたあと、この地理試験を受けたら不合格になるドライバーも多いと思います。そういう意味では試験のための試験という要素があるのは否定できないのですが、タクシードライバーはこれまでの職歴などが問われないことがほとんどなので、試験にしっかり向き合える真面目さがあるかどうかを適性として試されている可能性も考えられます。
地理試験に合格するためには、とにかく暗記していくことが必要です。何を暗記するかについては、会社によっては過去問題が保存されている場合があるそうですし、タクシーセンターでも対策問題集が売っています。この問題集をやっていけば十分です。中には何回受けても合格しないという方もいて、地理試験専用の講座を設けているところも見られます。やることは同じなのですが、出題されやすいポイントなどを教えてもらえたり、覚え方のコツを教えてもらえたりするようです。
地理試験に合格するためには独習がしっかりできるかどうかが重要です。自分で覚えるべきことをまとめられたらあとは覚えていくだけなのですが、今まであまり勉強をしたことがないという場合には、講座を受講するほうが近道かもしれません。
道を覚えるという意味において、地理試験は役に立たないというドライバーもいます。地理試験で学んだことは何一つ使わないから、さっさと路上に出て営業した方がいいという考え方です。一方で、地理試験が役に立ったというドライバーもいます。地理試験ではいくつかの出題傾向があるのですが、主要な地名、スポットについて言うと実際の営業ではあまり役に立ちません。例えば警察署や演芸館の位置などを覚えるのですが、地図上で暗記をするだけでは実際の営業には役に立たないのです。やはりそこまで行ってみることではじめて営業に使える知識になります。営業で使うことが多い地名ならば、一度頭に入れるだけでもいいのですが、ほとんど用事がないようなスポットも含まれています。そういったものは確かにあまり意味がないと感じます。
一方で幹線道路を覚えることは大きな意味があります。東京において、幹線道路は営業上極めて重要です。内堀通り、外堀通り、外苑東通り、外苑西通り、明治通り、山手通り、環七、環八などの環状道路と、皇居を起点として放射状に伸びていく六本木通り、青山通り、新宿通り、白山通り、目白通り、昭和通り、永代通り、鍛冶橋通り、桜田通りなどです。あるいは、少しローカルな、池上通り、連雀通り、奥戸街道、千葉街道、柴又街道などをチェックしておくことも重要です。例えば吉祥寺付近を走っている連雀通りは営業上ほとんど使わないのですが、お客さまのご自宅が連雀通りの近くにあるということはよくありえることです。そういうときに大まかにでも位置がわかっていることは大切です。幹線道路についてはどれだけ詳しくなっても無駄にはなりません。
そして、それと同じくらい重要なのが交差点です。特に幹線道路と幹線道路の交差点については、地理試験では非常に高頻度に出題されます。例えば明治通りについてです。起点となっている古川橋はよく使いますし、トイレもあるので非常に重要です。外苑通りとの交差点は天現寺橋で、こちらも毎乗務かならず通る場所です。駒沢通りとの交差点である渋谷橋は、恵比寿駅への入り口なのでこちらも重要です。「恵比寿駅まで」と言われた場合には交差点名は知らなくても何とかなりますが「渋谷橋の次を曲がって」と言われることも良くあることです。タクシードライバーとして渋谷橋を知らないというのは大きな問題であり、知らないと口にしては、お客さまを不安にさせてしまうことになります。
高田馬場駅への入り口となる馬場口交差点も重要ですし、その一つ南にある諏訪町もよく使います。新宿方面から北上していく場合、お客さまによって諏訪通りを好まれる場合と、馬場口を希望される場合があるので、必ず確認するように心がけたいものです。新目白通りとの交差点である高戸橋、白山通りとの交差点である西巣鴨もよく使います。
交差点についてはどれだか覚えていても覚えすぎということはありません。ドライバーになったあと、ナビ頼みで運転しているとなかなか覚えられず、いざというときに困ることもあるため、地理試験を機会にしっかりと覚えてしまうことをお勧めします。
もう1つ、山手通りについても見てみましょう。山手通りは正式には東京都道317号環状六号線といいます。通り沿いにはマンションが多く、また中目黒や中野坂上などの駅も多いため、お客さまも多く、よく使う幹線道路です。山手通りの交差点についても地理試験で頻出します。中山道との交差点が仲宿、大久保通りとの交差点は宮下、青梅街道との交差点は中野坂上、方南通りとの交差点は清水橋です。甲州街道との交差点は初台、井ノ頭通りとの交差点は富ヶ谷、淡島通りとの交差点は松見坂です。駒沢通りとの交差点は中目黒立体交差、目黒通りとの交差点は大鳥神社、第二京浜との交差点は西五反田一丁目です。こんな細かいところまで覚える必要があるのかと思う方もいるかもしれませんが、こういった主要な交差点についてはすべてしっかり覚えておくようにしたいところです。
これらの幹線道路や交差点は当然覚えた上で、ソニー通り、FM通り、平成通り、暗闇坂などの試験には出ない、もう少しこみいった場所やマイナーな地名や道路を覚えていかねばなりません。
にわか勉強で地理試験を突破したあと、研修を経て実際に路上に出て営業をはじめます。ある程度は研修の時に教えてもらえるとは思いますが、基本的に道は教えてもらうものというよりも自分で覚えていくものです。タクシーには地図を備え付けることが義務づけられているため、自分が普段使っている地図を持ち込んで、こまめに閲覧しながら道を覚えていきましょう。スマートフォンやタブレットでももちろん道を見ることはできるのですが、紙のものを使うほうが覚えは早いです。ナビも同様です。恐らく縮尺を変えたり、スワイプしたりすることによって、脳がうまく記憶できなくなるのだと思います。デジタルツールは道を探すには便利ですが、覚えるためには必ず紙の地図を使いましょう。
まずは自分が得意な営業範囲を作ります。私の場合は道が覚えやすい江東区を中心に3回営業しました。これぐらいやるとそのエリアの道はかなりわかってきますし、そのエリアから出るとどこへ辿り着くかもわかってきます。筆者は中央区、千代田区、港区へと徐々に営業エリアを広げていき、新宿区、渋谷区へと足を伸ばせるようになりました。そこまで慣れてくると、知らない場所でも営業ができるようになっていることでしょう。なので、あとはお客さまのご指示通りにタクシーを走らせながらついでに道を覚えていきます。初めて行った場所については、後から地図を見て復習するようにすると覚えが早いと思います。
覚え方については、苦手な区域をノートに描いてみると覚えやすいです。例えば、江東区の道路は東西南北に網目状に走っています。南北に走る清澄通り、三ツ目通り、四ツ目通り、明治通り、丸八通りと、東西に走る永代通り、葛西橋通り、清洲橋通り、新大橋通り、京葉道路、春日通りを正しく覚えて、それらの交差点の名前と、それぞれの道がどの駅を通っているのかを把握する必要があるのですが、単に口に出してみても念仏を唱えているようでさっぱり覚えられません。しかし、絵に描いてみると、すっと頭に入ってきます。港区、中央区、千代田区については、小さな抜け道を含めてすべて絵に描けるくらいになってもいいと思います。一度絵に描いてみるという方法は、面倒かと思いますが、記憶への定着率が高いため、苦手なところほどやってみることをお勧めします。
どれだけ道を覚えようとしても、知らない道というのは出てきます。例えば、世田谷区の住宅街の奥深くなどは非常に複雑で、そのあたりの出身者でもないと詳細に把握することは難しいのではないかと思います。もしも世田谷区のすべての路地を把握しているというドライバーがいるなら紹介してほしいのですが、もしかしたらいるかもしれません。しかしそんなドライバーでも同時に、足立区、墨田区、葛飾区の路地もすべて知っているかと聞いたらまず無理でしょう。
また、仮にすべてを把握していても、お客さまが望む道かどうかを見極めるのは難しいです。例えばこういうことがありました。お客さまの指示された道が少し遠回りになっていたのです。なので「この道だと少し遠回りになってしまいますがよろしいですか?」とお尋ねしたところ、「この時期は桜が綺麗に見えるから、この道を通りたいんだ」と言われました。もしも自分の勝手な判断で道を変えてしまっていたら、お客さまをがっかりさせてしまうことになりました。このようにタクシードライバーは道を知っているだけでは駄目で、お客さまに道を聞き、希望を聞き出していく接客能力が問われます。
といっても、それほど難しいことではありません。タクシードライバーがお客さまに道を聞くのは当たり前のことで、道を聞かれて怒るお客さまはほとんどいないのです。もちろん、稀にはいるかもしれませんが、そういうお客さまは虫の居所が悪いのか、何をどうしても怒ってしまうので、そういうときは運が悪かったと諦めましょう。
前提として、接客態度が偉そうではないということは大切です。ホテルマンのように腰を低くして誠実に接客しましょう。そしてコツを一つ言うとすれば、道を全然知らなくても、知らないことをバレないようにすることです。例えば、川崎の競艇場が目的地だと言われたとしましょう。「行ったことがないのでわかりません。」とだけ言うと、そこで会話が終わってしまいます。
「川崎の競艇場ですね……、かしこまりました。不勉強で申し訳ないのですが、競艇場までは行ったことがありませんので少し調べさせていただけますか。」というように一度受けてから、調べてでも必ずお連れするとお伝えすることが大切です。大抵は、そうなったあと道を指示してくれます。「なんだタクシードライバーなのに川崎の競艇場も知らないのか!!」などと言われたしまった場合には「すみません、いつもは江戸川区のほうで営業をしておりまして……」などといってごまかすテクニックもあります。お客さまの要望を、けして逆らうことなく、自然に聞き取りができるようになるとタクシードライバーの営業も堂に入ってくるでしょう。
タクシードライバーが必ず向き合わなければならない、地理についての考え方をご紹介しました。地理試験でもある程度学べますが、それはあくまでもイントロダクション。本当の勝負は路上に出てからです。一気にすべてを覚えることはできません。そして、最終的にもすべての道を暗記することはできないと謙虚に考えるべきでしょう。
私たちドライバーに問われるのは、少しでも道を覚えようと努力することに加えて、お客さまから道を聞き出す技術です。やっているうちに色々な抜け道を覚えていくので、「運転手さんよく知ってるね」などと言われることも増えていくはずです。地理を面白いと思う方にはとてもお勧めの職業です。