お客さまが「少しまけてよ」と言ってくるのは日常茶飯事です。原則として値引きはできないのですが、お客さまの要望なので単に無視をするわけにはいきません。例えば、関西のある地域では、「まかりまへんか?」というのはもう挨拶のようなものだと聞いたことがあります。もっともこれをその地域出身の友人に言ったらすごく怒られたので、そういう認識はないのかもしれませんが。
ともかく、少しでも安くしてもらおうと交渉してくる話はよく聞きます。「横浜まで1万円でいけない?」と聞かれた時に、こちらとしては一瞬考えてしまいます。横浜まで1万円でいけるだろうかと。ただ、お客さまのほうも1万円ではいけないことはよくよくわかったうえで、安い値段を言っています。なので、その仕事を受けると損することになってしまいます。
仮に1万円で受けたとして、運賃が1万5000円であった場合、5000円を自分の財布から出して埋める羽目になります。1万5000円のうち、9000円くらいは自分の収入になる計算ですが、そのうち5000円が失われたということになるので、実質的には4000円の実入りとなります。かなり遠くまで運転したのに、実入りが小さいのでは何のために営業をしているかわかりません。
というわけで、禁止されているにもかかわらず、常にタクシードライバーの心を揺さぶってくる値引き交渉について書いていこうと思います。
この一行の小見出しで記事が終わってしまいますが、タクシー事業者は値引きをすることができません。タクシーのサービスで差別化をすることは難しいため、価格を下げるということが横行すると、どんどん値段が安くなってしまい、最終的には割にあわなくなります。そうなると、稼げない仕事になっていくため、タクシードライバーの質がさがり、公共交通機関としてのタクシーが危険な乗り物になってしまいます。日本のタクシーは安全ですが、海外では強盗犯が運転しているタクシーがうようよしている地域もあります。
なので、タクシーの運賃を適正な水準に保ち、タクシー業界の収入を十分なものにすることはとても大切です。もしも安値競争になってしまったら、タクシーは危険な乗り物となり、多くの人が敬遠することになるでしょう。そうなってしまうと、日本に暮らす人々の利便性が大きく失われることになります。そういった背景から、タクシーという乗り物は、法律で厳しく縛られています。勝手にタクシー会社を作ることもできませんし、特別な許可を得なければ個人で営業することはできません。日本ではそれが当たり前ですが、海外にはUberのようなサービスを使って、個人がタクシーのような営業をすることができる国もあります。日本では旅客運送業は、法律で厳しく制限されています。その中でも、客引きを目的とした値引き行為は禁忌の一つです。
かつて、居酒屋タクシーというものがありました。官公庁などを中心に営業していた個人タクシーだと聞いていますが、午前様になったお役所勤めの方がタクシーに乗ると、冷えたビールとおつまみが出てくるというようなサービスだったように思います。これの何が問題なのかというと、ビールとおつまみをタクシードライバー側が購入しているため、実質的に値引きサービスとなっていることです。値引きによってお客さまを集めているので、違法性があるということで摘発されました。
お客さまが自分で購入したビールとおつまみを楽しむ分には問題がありません。ファーストフードのお持ち帰りを車内で食べることで、あとで匂いを除去するのにドライバーが苦労するというのは良くある話ですが、基本的に車内での飲食は禁止されていません。ただ、運転手によっては嫌がることもあるので、一声掛ける方が確実とは思います。タバコについては、2023年時点でほとんどが禁煙車になっていると思います。
運賃交渉をされた場合には、基本的には断ります。一応お話は聞くことはありますが、「法人タクシーなので値引きは一切できないんですよー」と言うのが早いかなと思います。前にはやってくれたということもあるかもしれませんが「すみません、そういうこともあるかもしれないのですけど、うちの会社は絶対駄目で、首になっちゃうんですよ」と言えばいいと思います。それでもタクシーを降りず、絶対に値引きしないと認めないという方は……、あんまりいないと思います。
普段から値引きを要求するお客さまは、基本的に値引きはできないものだとわかっていて交渉しています。交渉不能なタクシーだと思うとすぐに次を探しに行きます。法人タクシーと言いましたが、個人タクシーだとどうかというと、同じように値引きはできません。ただ、法人タクシーよりも監視の目がゆるいのと、個人事業なので自己判断でできる部分が大きいので、交渉すると成功することもあるかもしれません。とはいえ、原則的に駄目なのは一緒なので、交渉しても駄目なものは駄目です。
ただ、交渉してくるお客さまはある程度長距離を乗ることが多いので、お断りしてしまうのはもったいないです。「すみません、値引きはできないんですけど、お得にタクシーが乗れる豆知識をお教えしますよ」などと言いつつ、納得してもらって乗ってもらうのが一番です。お客さまのほうもそう簡単に値引きはできないことはよくよくわかっているはずです。トラブルになりそうだったら、お断りするしかないのですが、何とかなりそうだったら乗っていただくのもタクシードライバー道です。
おおっぴらには言えませんが、端数だけまけるみたいないことをするだけで満足してくれるお客さまもいることでしょう。原則として値引きは一切禁止なのですが、タクシードライバーが自分の財布から出す分には、それほど厳しく取り締まられるものではないのが現状です。ただ、そういう癖をつけると、あとあと大変になるので私は受け付けないことにしていました。お客さまが欲しいのは金銭的な利益ではなくお得感だと考えて、その場の反射で「いいキャバクラ情報教えますよ」とかつぶやくと、乗ってくることもあります。実際にはそんな情報は知らないので、車内での会話を頑張る必要がありますが、それもまたタクシーの仕事の楽しさです。
こんなことを公に言うと怒られてしまうのですが、タクシードライバーは夜の街、お酒とカオスの神バッカスが支配する世界で仕事をしているので、多少のルーズさがないとやっていられないところがあります。ドライバーの性格にもよりますが、酔ったお客さまと楽しく話せるようになると、稼げるドライバーに近づいていくのかなと思います。
ただ、これはあくまでも夜の話で、朝方は要注意です。朝に乗るのは急いでいるビジネスマンか、朝方まで飲んでいて泥酔している方です。朝まで営業しているお店の方もいます。朝まで飲んでいる方はなかなか厄介で、トラブルが起きることも多いです。
それでは最後に、お客としてどうしても安くタクシーに乗りたい方のためのノウハウを書きたいと思います。まず、どうしても割安で移動したいという方はタクシーに乗らないことをお勧めします。短距離であれば歩くようにするべきですし、電車やバスで行ける範囲には電車やバスで行くべきです。そうするのが絶対的に安いです。
タクシーは決して割安の乗り物ではありません。お客さまにあわせてオーダーメイドで移動する個室であるため、利便性は高く、車内で落ち着くことはできますが、運転手を一人拘束することになるため、どうしても経費がかかります。人間を一人雇っていると思えばある程度値段がかかることはご理解頂けるのではないかと思います。というわけでタクシーに乗らないのが一番安く済ませる方法です。
逆に言うと、タクシーに乗る場合には1メーターの増減に神経質になるのはあまり上手な使い方ではないと思います。タクシーの料金は距離と時間によって変わります。なので同じ道を行っても、毎回料金が若干異なります。そういう乗り物だと理解して、使っていくべきなのだろうと思います。これはタクシードライバーにはコントロールできないことです。というのも、メーターのシステムはタクシードライバーやタクシー会社がいじれないブラックボックスの中にあるからです。余談ですが、タクシードライバーはメーターの修理などでたまにメーカーまでいくことがあります。
こんな話では納得がいかないと思うので安く使うことを一つ伝授させていただきます。タクシードライバーよりも道を把握することです。どの時間にどの道が混雑しているか、どの車線の流れがいいのが、信号のつなぎがどうなっているのかなどをしっかり把握して、都度タクシードライバーに指示をします。タクシードライバーとしては指示された通りにいくだけなのでどちらかというと楽です。何も言わずにあとでクレームというのが一番嫌なパターンです。もちろん道路交通法に反した運転はできませんが、その範囲内であればどんな指示にも従います。
渋滞情報についても熟知しているとなおいいと思います。そこまでやれば、毎回1〜2メーターは得することができるのではないかと思います。タクシードライバーはバスドライバーとは異なり、同じルートをいつも通っているわけではないのでわからないこともあります。なので、その知識をいつも使っているお客さまが補うことで、効率化した運転ができます。他にも抜け道がある場合には、抜け道を指示するのも有効です。有名な抜け道ではない場合には、ドライバーが知らないこともありますから、その場合は、しっかりと道を見ながらドライバーが間違えないように見張っている必要があります。とてもご面倒だと思いますが、安くという意味ではこれが一番確実です。
最後に高速道路についてです。タクシードライバーは高速道路を使うのが好きです。速く仕事を終えることができるうえ、高速道路はやや回り道をするように設計されていることが多いため、運賃もある程度高くなるからです。それ以上に、高速道路は非常に楽しい道路なので、慣れているドライバーほど高速を使いたがります。高速道路の通行量は利用者負担となるため、ある程度高くなるのは間違いありません。それを逆に取ると、下道を使うほうが安くなるということです。高速を使うほうが早いことがほとんどですが、下道を使うと安くなることが多いです。
逆に高速道路のほうが安いと言うことは、下道だけが渋滞しているケースなどを除いて稀です。下道の場合には、停車時にも時間で料金がかかるのですが、高速道路の場合には距離だけの計算になります。高速に入る時と降りる時に、ドライバーが手元の端末を操作しているのを見たことがある方もいると思います。ただ、下道を行くのは時間がかかります。場合によっては倍以上かかってしまうこともあります。せっかくタクシーを使っているのに、時間もお金もかかってしまうのは効率的と言えるかどうかです。
このあたりはお客さまの判断によるので、ドライバーとしてはメリットとデメリットを踏まえてご提案します。下道が良いという場合には、下道でゆっくり行きますし、高速をご希望された場合には法定速度ギリギリですっ飛ばしていきます。タクシーはお客さまが主導できる唯一の公共交通機関なので、時間を取るか、料金を取るかをお客さまが決めることができます。
タクシーの値引きについて書いてきました。ドライバーにとっては日常ですが、それ以外の皆様からするとかなり風変わりな世界のように思えるのではないでしょうか。値引きはできないというのは事実なのですが、そういって杓子定規に対応してお客さまを逃してしまうのはもったいない話でもあります。熟練のドライバーはこういう時でも話をうまく繋ぎながら乗っていただき、最終的には笑顔で降りていただけるようにします。そのために必要なのはある種の接客技術、トークスキルなのですが、それ以上にお客さまに乗っていただくのが好きであることが大切なのではないかと思います。お客さまと色々なやりとりをしながら、仕事をしていくのもタクシードライバーの楽しさの一つです。