先輩運転手との出会い〜ドライバーになるまでを振り返る

公開日:2024/09/19 00:29



3月11日水曜日。ぽかぽかと天気の良い日であった。1回目の乗務は昼間だけの短時間であったのだが、2回目からは本格的な隔日勤務へと突入する。このように言われても何のことかわからないと思うので、まずはタクシードライバーの特殊な勤務形態について説明する。


まずは日勤から。昼日勤夜日勤という制度があり、昼日勤は朝出庫して夕方くらいまで、夜日勤は夕方出庫して朝まで乗務する。昼日勤は主婦など夕方以降は乗務できないドライバーが多く、夜日勤はロングのお客様を探しに繁華街へと突撃していくハンターのようなドライバー多い。


肝になるのは昼日勤と夜日勤を対にすると24時間タクシーを動かせるということだ。タクシーが車庫で休んでいる時間は、会社からすると無駄な時間なのである。タクシー会社の戦術は単純で、タクシーがなるだけ長時間働いてくれるように稼働率を上げることである。


ただ、この昼と夜の日勤をあわせるシステムは主流ではない。というのも、タクシーの稼ぎが良い時間は、22時から翌朝5時の2割増しの料金になる時間帯だからである。昼日勤は稼がない時間帯で勤務し、夜日勤は常に稼げる時間で勤務するため収入に大きな差が出るためだ。


割増料金になる時間帯を専門用語で青タンというのだが、どのドライバーも青タンになると本気モードに突入する。そして、最終電車が終わる時間帯になると覚醒モード、魔人化、超サイヤ人、ハイパー化、覇王色の覇気、リミットブレイク、卍解などそれぞれの必殺モードを使って、炎の中へと突入していくことになる。


例を出すとこのような形である。


昼日勤:乗務時間 8時~18時 売上2万円(推定収入11000円)

夜日勤:乗務時間 20時~翌6時 売上3.5万円(推定収入19200円)


売上と収入は目安で、ドライバーによって大きく異なる。これを月あたり22~26回繰り返す。勤務時間は短いが、通勤や精算作業、洗車などに使うタイムロスがあるため決して楽ではない。そのため隔日勤務というスタイルが一般的となっている。おおまかに言うと丸一日間乗務員Aが担当し、次の日は乗務員B、そしてその次は乗務員Aがまた乗るという輪番制になっている。隔日勤務の場合、通勤する回数も、精算作業や洗車の回数も半分に出来る。


また、出番の翌日は明番となっている。明番は身体を休めるという仕事をする時間なのだが、体力が許せば好きなように使える。隔日勤務に身体が慣れるまで数ヶ月から半年くらいかかるらしいのだが、慣れてしまえばこれ以上に快適な仕事はないと聞いた。


よく知識人がタクシードライバーが稼げないならさっさと辞めて送迎運転手とか物流のトラックドライバーになれと言っているのを見る。しかし、コロナ禍においても、実際に移る人は多くなかったようだ。


その理由の一つが、この隔日勤務なのではないかと思っている。タクシードライバーは隔日勤務する生態を持った生物なので、他の仕事をしようと思うと1度馴致した身体を、再馴致させなければいけない。これが面倒なのだ。


さて、隔日勤務には早番と遅番がある。一般的に早番は6時から10時に出庫し、最長で20時間後の翌朝2時から6時に帰庫する。遅番の場合は14~15時に出庫し、20時間後の翌朝10時から11時に帰庫する。といわれてもよくわからないと思うので、遅番と早番のタイムスケジュールを書いてみよう。


早番

出庫 8時

帰庫 翌日4時まで(20時間以内)

遅番

出庫 15時

帰庫 翌日11時まで(20時間以内)


帰庫した後は精算作業と洗車を行い、ようやく勤務終了である。ぼくの場合は大体1時間から1時間半くらいはかかる。そのため、14時に家を出て、帰宅するのは13時頃となる。約23時間のタクシーワークである。この23時間の乗務が月に11から13回ある。従って、移動時間を含めると253時間から299時間をタクシー乗務のために使うことになる。


もっとも、20時間も乗務時間があるのだが、ずっと営業しているわけではなく、労働法の規約により最低でも1時間は休憩を取る必要があり、また会社の規定によっては3時間程度の休憩を義務づけるところもある。休憩を3時間とし、通勤時間も差し引くと、216時間である。


また出庫から帰庫までの20時間というのも最長の場合で、15時間程度で戻ることも出来る。この場合、休憩1時間を引くと12乗務で月あたり180時間勤務となる。このくらいが普通の労働時間で、多くのタクシードライバーは残業しているということになる。出番の翌日は明番である。複雑なのでぼくの生活パターンを書く。


14時 自宅を出る

14時半 出社

15時 点呼、出庫

20時頃 2時間休憩

翌日

5時頃 1時間休憩

10時 回送板の掲示

11時 帰庫

12時半 精算作業・洗車終了

13時 帰宅

ここまでが出番

明番

13時 昼食とビール

14時 昼寝

17時 目覚める 家事育児など

20時 夜のデスクワーク開始

0時 就寝

8時 起床 朝の書き物

12時 昼食後、1時間半程度昼寝

14時 自宅を出る

14時半 出社


多少崩れることもあるのだが、このような生活パターンで暮らしている。23時間タクシーのために使って、次の25時間は休むか、自分の好きなことをしている。といってもぼくの場合は遊んでいるのではなく、ライフワークの文筆業をしている。睡眠時間は2日間で15.5時間なので十分である。1回聞いただけでは理解しがたいと思うのだが、2日まとめて働いて2日まとめて休むということだけ理解して頂ければ幸いである。話をさらに複雑にするの公休である。出番の翌日にある明番は、あくまでも身体を休める仕事をする日のため休日扱いにはならない。そのため、公休と呼ばれる休日がある。明番と公休は連続するため(明公という人もいる)、約48時間を自分や家族のために使える。要するに普通の土日休みと一緒である。


というわけで14時に自宅を出て会社へと向かう。着替えて点呼を取る。ぼくはこの点呼の時間が好きだ。安全確認しようなどという標語をみんなで読むのだが、この時誰よりも大声を出してしまう。点呼を取った後はドライバー達が、それぞれの乗務員証をとりタクシーへと乗り込む。そして準備が出来たタクシーから発信していく。ガンダムの世界である。ぼくはまだ不慣れなので点検や準備が終わらずにモタモタしていた。すると、すらりと背の高いお姉さんに話しかけられた。先輩乗務員のようだ。


「新人さーん、頑張ってね-。どう?どうよ?タクシー」

「いやー、この前初乗務だったんですけど、緊張して死ぬかと思いましたよ……。」

「ドライブはお好き?」

「え?ドライブですか好きですよ。」

「いいじゃーん!!ドライブ好きならさ、この仕事楽しいよ!!人のお金でドライブできるなんて最高じゃない!!」


まるで南米産のストライカーのように独特のリズムを持っている方であった。そして、考え方もラテン系であった。タクシードライバーは大変だという重苦しい気持ちでいたのだが、人のお金でドライブに行くという風に発想の転換をすると、一気に楽になった。


「私ね、坂道が好きなのよ。いい。東京は関東ローム層と埋め立て地で出来てるんだけど、埋め立て地のほうはダメね。ろくな坂道がないから。坂道は好き?」


突然坂道の話になった。坂道が好きかどうかを考えたことはなかったのだが、そう言われると好きなような気もしてきたので、そう伝えてみる。


「そうなんだ!坂道はいいよね!!私はね、暗闇坂がお気に入りなの。曲がりながらギューインって登っていけるのがいいのよ。これから坂道仲間だね、よろしくね」


なんだか少し気が楽になってきた。この先輩は、坂道姉さんと呼ぶことにしよう。せっかく仲良くなれたので、坂道姉さんに接客について聞いてみることにした。


「地理がまだ全然わからないのと接客にも緊張して……。今も心臓バクバクしていますよ」


「それはね、慣れだよ-。この仕事はね、お客さんに色んなところに、連れていってもらえるのよ!!私なんか、今日はどこへ連れってくれるのかしら?って思いながらお客さんを乗せるの。楽しいわよ!」


またもや発想の転換であった。お客さんに命令されてどこかまで走らされるのではない。お客さんに未踏の地へと連れていってもらえるのだ。なんだか嬉しくなってきた。不安が少しずつ溶けていくのを感じる。坂道姉さん、ありがとう。この仕事に対する考え方が変わった。文筆業を続けるためにハードな肉体労働に耐えるという意識が少なからずあったような気がする。しかし、これからはもっとタクシーを楽しめそうな気がする。少し時を戻してタクシードライバーになるまでの過程について紹介したい。


まず何か始めればいいのかというと、約30万円を払って二種免許を取得しなければならない。そのためには普通免許と同程度の教習をうける必要があるため、約2ヶ月間もかかる。この期間をどう確保するかが最初の試練となる。というのは大嘘だ。


そんなシステムにしていたらタクシードライバーを目指す人は激減してしまう。というのも、タクシードライバーになる人は、あまりお金がないからだ。弁護士や税理士のように何年もかけて自費で免許を取る仕事とは事情が大きく異なっている。2種免許の取得費用は会社が負担してくれるし、その期間も研修料というような名目で日当1~2万円が支給される。さらに就職をした段階で祝い金と称されるまとまったお金がもらえる場合もある。ぼくの知る限りは20万円が相場なのだが、会社によっては100万円ちかくもらえることもあるらしい。バブル時代の若者になったような気分になれるのがタクシー業界への就職なのである。文字通り引く手あまたである。


さらに言うと、タクシードライバー志願者に求められるのは健康な肉体と普通免許だけである。年齢制限もなく、定年後に始める人もいる。背中に入れ墨がないかどうかを確認される会社もあるという噂は聞いたことがあるが。


さてぼくは、祝い金制度を知らなかったのでもらい損ねてしまった。ぼくの場合は全部自分でやったのだが、『プロタク』のようなタクシー業界への就職に特化したサービスでも無料で相談に乗ってくれ、タクシー業界での働き方などについても丁寧に教えてくれる。ぼくの場合は、売上をあげるための走り方についてのセミナーに参加したのだが、そこでも懇切丁寧にレクチャーしてもらった。こちらは有料なのだが。


どうして無料で就職相談に乗ってくれるのかというと、未来のタクシードライバーは金の卵だから紹介料が稼げるのだ。需要があるところに供給することで価値が発生するのだ。会社側としても、タクシー業界についての事前知識をある程度持っていて、自分の会社に合うだろうと見込まれている人が就職してきてくれるのは歓迎なのである。どうして、タクシードライバーが金の卵なのかというと、タクシー会社が利益を得るために絶対にやらなければいけないのがドライバー人材の確保​であるためだ。


タクシー会社は、営業所と駐車場を持ち、タクシーを何十台も持っている。会社によっては何百台もある。土地、車、そして建物は、持っているだけでお金がかかる。固定資産税しかり、車両税しかり、タクシーに関しては○ヶ月に1回のメンテナンスも義務づけられている。そして経理担当者や運行管理者と言われる専門職も雇う必要がある。月々の支出がかなり多い業態なのである。そのため、売上を増やす必要があるのだが、売上を増やすための唯一の方法がお客様を乗せることなのである。つまり、なるだけ多くのタクシーを街に放って、売上を上げ続ける必要がある。


車庫で眠っているタクシーはそれだけで赤字なのだ。従って、タクシー会社は車の稼働率を重視していると聞く。内勤社員は、稼働率を上げるために一生懸命で、一方でタクシードライバーは自分の都合で勤務日を変更したいと言うこともある。そういったせめぎ合いがタクシー会社の日常である。タクシー会社としては、タクシーに運転手を乗せたい。だから一人でも欠員が出れば募集することになるし、月々あたりの乗務数もなるだけ増やすことが奨励される。タクシーは歩合給なのだが、勤務日数や売上が多いほど歩率が上がるケースも多い。逆にいうと気まぐれに休みを取ったり、売上も大きくなかったりする乗務員の歩率は下がり、給与も低くなる。


従って、同じタクシー乗務員でも年収1000万円を超えるエリートが現れると同時に、年収300万円を切るドライバーもいる。ぼくのようにライター業など他のテーマがある人もいるが、純然たる意味でやる気がなく怠惰な人もいる。人によって営業スタイルが異なるのがは面白いところなのである。


さて、ぼくの会社探しである。ぼくの基準はただ一つで、人間関係と人間性であった。他人を変えることは出来ない。合わない人とは一生合わないし、邪悪な人は生涯邪悪であることを貫く。そう思って行動するべきだ。人は変わらないし、組織はもっと変わらない。期待するほうが悪いのである。自分に合う人がいるかどうか。あるいは人同士の仲が悪くないかどうか。ここだけ見極められれば、何事もうまくいくと思っている。というのも、ここが見極められずに失敗ばかりしてきたからだ。とはいえもう38歳である。今度こそ大丈夫なはずだ。


後は自宅から近いことも優先した。1時間以上かけて通勤する人も多いのだが、タクシー業は拘束時間がとにかく長い。前後に電車で移動するのは避けたかった。また、繁華街に近い会社で働くと帰りにふらりと飲みに行ってしまう危険性が高い。そうなるとお金も残らず、体調も悪化し、書き物も捗らない。門前仲町、錦糸町、新宿、池袋……。危険である。


父がいつも読んでいた半村良という作家は、様々な仕事を転々としながら、その専門性を種にして小説を書いていったのだそうだ。ぼくはタクシーのことを書くつもりはなかったのだが、結果としてはそうなった。最も他の業種に転職するつもりは今のところない。


書き物をするために最適なタクシー会社を選ぶ必要があった。そのためにはある程度ゆるい会社のほうがいい。鉄のような役所組織の場合には、組織の都合が個人の事情よりも優先される。その結果、酷い目に遭って、土下座したりさせたり、倍返ししたりされたりというようなどろどろの愛憎劇に発展するかもしれない。


あまり期待もされず、かといって迫害もされない。大人の距離感でいられる会社がいい。会社によっては乗務員でグループを作り、グループ会などを行っているところもある。担当する班長がいて、時折指導が入ることもある。そういうところはぼくには合わない。ぼくは東大卒という厄介な肩書きがあるので、目の敵にされる危険性がある。実際に今までにそういう目にも遭ってきた。


東大生だらけの場所ではそういうことはあまりないのだが、強い学歴コンプレックスを持っている人も多い。そして、そういう人とうまくやっていくのは難しいし、そんな努力は人生の無駄である。


書き物やサッカーを通じて得られた仲間がいるし、家族もいる。人生の目的もはっきりしている。孤独になることはない。タクシー会社に求めているのはコミュニティではなく、確たる仕事と収入であった。

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